赤坂明把我最后的希望剥夺了。不用期待我了。

[翻译][中原中也] 给安原喜弘的书简(信件5)

信件5 昭和5年5月12日(信封)(市外 中高井户)

昨天我去了“曾几何时”那家店。没有一个客人;我不知不觉间说了约三十分钟的话。我只讲了态度亲切和蔼的话,结果也不得要领,大概就是“如果交些朋友的话会很开心所以我来和各位交朋友吧”这样的话语。不管怎样,你给那里的人留下的印象,果然还是太过浅淡了。我虽然和他们说了我有婚约者,她现在在比较远的地方之类,小的时候我还和她一起玩来着之类,她在一定程度上也算是我的亲戚之类——结果我发现,这些东西几乎全无言说之必要。那里有人问你你是哪个科系的,你说你是美学系的,人家莞尔一笑,说,妾身还真是不可思议地和美学有缘呐。稍微沉默一会儿之后,听说了你的年龄,就回答说,啊呀,那么说来是比妾身还要年少得多呀您呐。秋子二十六岁。伊予国今治(注1)出身。——
就这样,虽然我显得有些懦弱无耻,但是还要请告你,关于你七月份回到这边的事情。到那时为止,尽管我说不出我是该做这件事,还是那件事,但我至少知道写信是件好事。
明天有大扫除。庭院里的草不拔不行了。房屋的主人在这里,种了一棵桐树和三棵杉树。我的家已经,热了。因为屋顶是白铁皮做成的。胃里有些难受。是胃酸过多。啤酒对胃的伤害,似乎是远远多于日本酒的。
昨晚,我在银座散步时遇到了格莱勒(Friedrich Greil)(注2)。向他说了感谢您多次给我做复印,随即在杂乱的人群之中,又说了一声,阿斯泰·妮尔森(Asta Nielsen)(注3)!
我无论如何要在秋天或者春天去一趟巴黎。我祝愿你把今年还剩下的科目都读完。秋天的时候大古久寿雄要来。说到大谷这个人,前几天我还见到他了呢。也不明白这个人是个强者还是什么,反正我不喜欢他。如果只是一起闲聊的话还是喜欢的,但是我做不到凝眸注视他。
六月五日前后,我要去京都哟。如果恰好弟弟也在那里的话,兴许和他见面。
明天,我把柏格森寄给你。到新保见面如何。
后会有期
中也
十二日夜


注释
(1)现爱媛县今治市。
(2)弗雷德里希·格莱勒(Friedrich Greil,1902~2003),德国教育和传媒工作者、移民和跨文化交流研究者、记者,德日交流重要人物之一。
(3)阿斯泰·妮尔森(Asta Nielsen,1981~1972),丹麦女演员,1910至20年代活跃于丹麦和德国电影界。当时正是无声电影的全盛期。


手紙5 昭和5年5月12日(封書)(市外 中高井戸)

 昨日「しばらく」に行った。客がいなくて、ポツポツと三十分くらい話した。体(てい)のよいことばかり云って、結局要領を得ないが、お友達として御交際下さるのなら喜んで御交際致しますというのだ。何しろ君の印象が、まるでまだ浅いようだ。許嫁があるというようなことも云うには言ったが、今遠方にいるんだの、小さい時から遊んでいたんだの、一寸親戚に当っているんだの──要するに殆んど何んでもないことなんだと僕は見る。君が何科だと訊くから、美学だと答えたら、にっこり笑って、あたくし不思議と美学の方とは御縁があるんでざんすのよと云った。暫らく黙った後、君のとしをきいたので、答えると、ああ、それじゃああたくしよりずっとお若くいらっしゃるんでざんすね、と云った。秋子は二十六。伊予今はるの者。──
 かくては僕事なんだか不甲斐ないような気がするのだが、今の所君が七月に帰ってからのことだと申上げる。それまでに、格別どうするとかこうするとかってことに触れないでの、手紙を出すことは好いことと存上げる。
明日は大掃除。庭の草くらいとらなくっちゃならない。屋主が、桐一本と杉三本を植えてった。もう僕の家(うち)は、暑い。トタン屋根だからね。胃が少し悪い。酸過多だ。日本酒より、ビールの方が胃にはズッと悪いらしい。

 昨晩は、銀座を歩いててグライルに会った。たびたび複製をありがとうと言ったら、雑踏の中で、一声、アスタ・ニールズン! といった。
 僕はどうしても秋か春には巴里へゆくのだ。君が今年中に残ってる科目を終えちゃうことを所望。秋には大谷久寿雄が行くんだそうだ。大谷というのは、先達(せんだって)見たよ。偉いかどうかは分らんこったが、僕は好きでもない。喋舌(しゃべ)りあうだけなら好いだろうが、あいつを眺めて居られはしない。
六月の五日頃、京都に行くよ。弟と重なるようなら、見合せよう。
明日、ベルグソン発送する。新保に会うか。
                      さよなら
   十二日夜                   中也

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