赤坂明把我最后的希望剥夺了。不用期待我了。

[翻译][中原中也]给安原喜弘的书简(信件4)

信件4 昭和5年5月9日(信封)(市外 中高井户)

早上醒来之后,出门到什么地方转了一圈,结果谁都不在,大家要么去了工作场所,要么去了学校。而不是这样的人,有一个是河上,另一个是山口。昨天我去了山口的住所。然后到夜里九点多为止,沿着小田高速铁道边的田间路,走了下来。九点钟时我和他告别,去了高田的马场那边,一个名叫野田的男人的宿舍。可野口自己还没有回家。就这样,我在周围散着步,说着我马上就去,然后出了门。手里只有十钱(注1),饿着肚子,也没有烟可吸。在年糕小豆粥店的橱窗里,我看见了名为“稻荷鮨”的寿司炸豆腐。去吃了。
思考一下不吸烟这件事情,就感到月亮分外明丽,夜晚的寒气和尘埃有青色的猫一般的感觉,就在这样的江户河畔的道路上,我走了许久。在这个过程中,我意识到自己身上带了邮票,于是掏出五枚三钱邮票,买来了空艇牌香烟(注2)。烟草到手,我喜出望外。行走的步调也更为悠然。——十一点,我折回野口的宿舍,结果他还没回来。我想,“那么进屋去等他好了”,转念又一想,“你一声不吭就出门去了,野口先生又怎么会知道你光临他家了呢”,实在有些困惑。总之最后我进了屋,读了周刊《朝日》的额外一期,十二点半的时候野口回家了。
今早七点野口又出了门,十二点半时让我吃了早饭。后来,我一边和河上打电话,一边留在那里看家,中村来到屋里发起了呆。今天真是个烟里雾里的困倦的日子啊。阴云密布,警圌亭的巡圌警们也都两手背在身后,愁然而立。——
这封信我也不打算重读修改,就这样发出去吧。
后会有期
中也
九日
今晚我要去听些民族音乐(注3)。
我还不想去京都。后会有期。


注释
(1)参考:中也写下这封信的两年后,买金蝙蝠烟需要大约七钱,买火柴需要一钱。
(2)一款历史可以追溯至明治时期的烟。
(3)查不到“国響”的具体意思。望指教。


手紙4 昭和5年5月9日(封書)(市外 中高井戸)

 朝目が覚めたって、それから何処へ出かけたにしたって、誰もいない、役所にいるか学校にいるかの人ばっかりだ。そうでない人の一人は河上で、もう一人が山口だ。昨日は山口の所に行った。夜九時すぎまで小田急沿線の田圃路を歩いた。九時に別れて僕は高田の馬場の野口という男の下宿に行った。まだ帰っていなかった。で、近所を歩いてまた後程来ますといって出かけた。持っている金が十銭で、空腹だし、煙草がない。しるこ屋のショウインドーに「いなりずし」が見えた。いなりずしを食うことにした。
 煙草が吸えないことを観念して、月があんまりよかったし、夜気と埃は青猫のように感じられる江戸河沿いの道を、随分歩いた。そのうち切手を持ってることに気がついて、三銭切手を五枚出してエアシップ一つ買った。煙草が手に入ると随分嬉しかった。ひとしお悠然と歩いたものだった。──野口の下宿に十一時頃引返すとまだ帰らない。「じゃ上って待ってます」というと「何も言わずに出かけられました、あなたがおいでになることを野口さんは知ってらっしゃいますか」といって、聊(いささ)か困ったことだった。ともかく上がって週刊朝日の増刊を読んでいると十二時半になって野口が帰って来た。
今朝七時に野口は出かけて、僕は十二時半に朝飯を食わせてもらって、出て来て河上に電話をかけて留守で、中村屋に来てボンヤリしてるんだ。今日はけぶたい睡い日だ。曇ってて交番のおまわりもみんな手を背に廻して、愁然と立っている。──
 僕はこの手紙を読み直すことなしに出そう。          
                      さよなら
  九日                      中也
 今晩は国響をききにゆく。
 また京都へ行きたくなった。さよなら。

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